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鬼滅の刃。。2

 アマゾンプライムで「鬼滅の刃」のアニメをみている。「ジョジョの奇妙な冒険」の女性版と言うのが個人的感想。この物語の主人公は炭次郎の竹を噛まされた鬼となった妹。主人公が何も語らぬ物語は今までなかった。そして登場人物の名前の漢字がむちゃくちゃ難しいスペル。どんなこだわりだよ。
 主人公が何も語らぬ、ココが新機軸。基本的に女性を守る主人公の男が悪戦苦闘して最後は死んでく、みたいな物語はいくらでもある。この漫画はある意味逆で鬼化した妹が場面によっては男より強いという設定。
 多分、作者は女性。何故か、簡単に言うと台詞が少女漫画的。男にはこう言わせたいよね、的なセリフが結構出て来る。そしてそれを男に言わせるのは作者の自己解放。第一、炭次郎がニオイいに敏感って女性の特技じゃん。
 反面ジョジョは完璧に男臭い。カッコイイ男は常に謎まみれだぜ、みたいな。
 そして、やれやれだぜゴゴッて終わる。 ゴゴゴゴゴゴゴッ。
 
暮しのなかの漫画


鬼滅の刃。。

 古来からカラスは神との連絡係。神社の鳥居はまさしくカラスの止まり木
 マンガでもカラスは連絡係。
 JR中央線の電車の中から、カラスが遊んでいるのを見た、それはどこかで拾ってきたスーパーボールをビルの屋上に落として跳ね返るそれをキャッチ、何回も繰り返す。
 カラスって遊ぶ。この時知った。
 他の話、死んだカラスを見つけたある消防隊員が気の毒に思い土に埋めてやった。それをはたから見ていた別のカラスが、その消防隊員が殺したと思いきり、カラスがストーカーを始めた。消防隊員だからみな同じ制服を着ているが、シッカリ見分けて朝礼の集会のさなかでも頭上から攻撃する。私服に着替えて帰宅するときもしっかり認識して攻撃をする。賢い。知り合いの火消しから聞いた。
 一度、カラスがバサバサっと家の窓越しに襲ってきたことがある、マジカで羽を広げた姿を見ると結構大きい。ハトなど襲うから猛禽類のたぐい。かつての白土三平の漫画では荒廃した戦場、死人の農村ではカラスが人肉を貪る表現があった。
 カラスが美味かったら、すでに絶滅危惧種。

暮しの中のカラス


コロナ規制も緩和されてきたが。。

 予断は許されない状況ではある。近隣の体育館も6月から解禁になるようだがコロナ対策を取ったうえでの使用となる。他教室の振替稽古を小山田本部道場で開催しようと計画しているが前提は体育館が使用できない場合。調べてみると各体育館も緊急事態が緩和されることを受けて模索し始めている。
 今日、看護師さんの稽古生から「うつすのが怖いので退会します。」とメールがあった。
 現場はまだまだ緊急の事態が続いているんだろうと思うと同時に悲しみを覚えた。
 
暮しのなかの不安

小金井市武蔵野中央病院で。。

 中国武漢発祥の肺炎コロナウィルス、都内でクラスター発生、TVニュースで報道していた。スワ大変、小金井には実家があり母親が単身住んでいる。
 その病院もJR東小金井駅から南、近い。
 私が住む小平からその辺までは車で30分位の距離。
 その場所を、TV報道では「都内」でクラスター発生と伝えていた。
 ??このあたりは都内なのか?今日の話題はそっちです。わたしの今までの地域感覚は都内と言えば23区内、それ以外の郊外(東京都に含まれる諸島、市町村)を都下と意識していた。
 以前、23区の一つ葛飾区から小平へ来た人が「ああ、、都内に比べると空気もいいし爽やかだしいいね~」などすっかり田舎扱い。「車のクーラーですよ。」みんなで笑った。
 私に言わせれば葛飾なんてごみごみして荒川に遮られた、少し行けば三方向は埼玉、茨城、千葉に囲まれる僻地じゃないか、と内心毒づいた。「へ~、23区に住むある種の人々は郊外を東京の田舎と思ってるんだ。」とその時気付いたものである。
 広辞苑によれば都内は23区、それ以外は都下。不動産など地べたに関する業界では辞書的解釈。その他は、報道なども含めて都下も都内も一緒で良いらしい。そげか。知らなんだ。
 私は都内の住民。

暮しの中の地域性
 

憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥..

 表記の俳句は松尾芭蕉、閑古鳥とはカッコウのこと。
 客がいない店のことを閑古鳥が鳴いてるよと言う表現がある。つまり寂しさの象徴。
 そのカッコウの鳴き声をいつもの散歩道で聴く。まさしくカッコ~カッコ~と日本人には寂しげな声に聞こえるのかもしれないが、朝これを聴くので芭蕉ほどの寂寥感は持たない。
 はるかな時の彼方に「呼子鳥」と言う絵本を読んだ記憶がある、これは確かカッコウの話だったと思う。途中はすっかり忘れたけど最後は親鳥が名付けた子鳥のカッコウを探してカッコ~カッコ~と鳴き(泣き)ながら探し飛んでいく場面で終わっていたと思う。
 だから呼子鳥、カッコウ。
 感動した記憶は60年以上経ってもいまだに残る。
 シジュウカラもこの辺では良く聴く鳴き声。ツピーツピーとさえずっている。元気が出る。

暮しの中の鳥たち

今朝は爽やかな散歩。。

 野良猫の亀、猫なのに亀とはどうしたわけか。いつの間にかそう呼ばれて、可愛がれている。基本は野良だから警戒心は強い。しかし、自分のお気に入りの人間にはまるで飼い猫のようにふるまう。今朝は亀が座るベンチ、いつもここで餌を貰う、私が座って撫ぜナゼすると横になってひょいひょい猫パンチ。爪は出さない。噛もうとしてカッと口を開くがそうはさせない。上着の袖に爪を立て、ぶら下がりながら、私の目をのぞき込む。灰青色に、三日月の瞳、昼間はいつ見ても猫の瞳は楔のようにとんがっている。夜行性だから昼間はまぶしい、かな?
 すぐ脇に我が家の愛犬チーちゃん抱えているけど全然気にしない、亀。

暮しの中の野良猫

運がいいのか、悪いのか。。

 と、問われれば、即座に「運が良い」と私は答えられる。多くの人に恵まれている。
  反面、人は過去の記憶に引きずられる。特に嫌やな記憶は未だに残る。
 死んだ親父が東電に勤めていたころ間違いを犯したらしい。何かと言えば+と-を繋ぎ間違えたため変電所自体がショートして大ごとになったという事故。親父が東電から退職後に感謝状を贈られた時(大手の会社はOB、OGに存命であれば退職後も感謝賞状を送ったりする。)臨終の病床に臥していたが、うわごととしてその事故と感謝状のことを一人つぶやいていた。
 あんな事故起こしたのに感謝状など貰っていいのかと。
 彼が若かった頃のことなど私は断片的にしか知らないが死を間際にしても過去に引きずられるんだ、ということをその時知った。思ったことは過去の嫌な自分もそして嫌な他人をも許すことが大事。
 今まで、生きてこられたことそのものが運が良い、これから先もどうにかなるさ、自己肯定が大切。

暮しのなかの自己
 
 
 

今日はひたすら。。

 寝てました。。愛犬、チイーちゃんと一緒に布団の中で、暑くて何回か布団を剝いだけど寝続けた。
 耳元では、志ん朝がずっと古典落語を語ってくれた。笑える。彼は名人。彼の親父、志ん生も名人。
 最近聞く、談志はただ理屈っぽくて五月蠅いだけ。私が若い頃は談志も面白いと思ったけどそれは私に、今より体力があっただけ、現在、談志を聞くとうるさい。談志がバカにしていた林家の三平、幇間芸でむしろ笑える。とりあえず、聞いていて笑えるのは志ん生、志ん朝、三平、先代の鈴々舎馬風も面白い。ただし、先代三平が名人とは言ってない。ただ面白い。彼の親父は名人だった。

暮しのなかの落語

稽古。。

 今日はリキまない、が課題で二か条抑えという技を稽古しました。
 力を使うのも技術なら、力を抜くのも技術。
 師匠の剛三先生が60代の頃、ご自身の当時の動画を見て「まだリキンでいるな。」と言われていたのが印象的です。私もすでに60代半ば、まだまだです。「70過ぎてから合気道は面白くなるぞ。」と言っていた剛三先生も印象にあります。年取ればできることが増えてくるのが実際の武道。逆に出来なくなるのがスポーツ。何故か、発想が違うのです。先人の残してくれた身体操作、心法を学ぶことは今を生きる人にとっても大きな意味があります。
 
暮しの中の生き方