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最終日。。

8月13日
 バンクーバー国際空港への道すがらロバート氏に今日はBack to the futureだと言ったらLOlと言って笑っていました。最後に英語が上手くなったと褒められました。
 空港には先住民をモチーフにしたオブジェがありました。
バンクーバー空港2 001  バンクーバー空港1 001  バンクーバー空港3 001  バンクーバー空港4 007  バンクーバー空港4 008 
 Jump to search独特の造形に目を見張りました。
文明武力の高い民族がそれより低い民族を侵略する歴史の流れを感じずにはいられませんでした。
以前アメリカで先住民族の末裔という人に会ったことがありますが持ちモノから容姿には独特のものがあり先住民であることに誇りを持っていました。

オジブワ族を描いた絵画

ファースト・ネーション(カナダ英語: First Nations)は、カナダに住んでいる先住民のうち、イヌイットもしくはメティ以外の民族のことである[1]。現在、カナダには50を超える民族に50種の固有言語を有する、630を超えるファースト・ネーションの共同体が存在し[2]、そのうちおよそ半分はオンタリオ州ブリティッシュコロンビア州に居住している。人口は2011年の国の世帯数調査によれば1,400,000人を超え、これはカナダの全人口の4パーセントにあたる[2]。 

~Wikipediaより

 そういえばロバート氏がこの街では白いのは俺だけだよと冗談交じりに言っていましたがそう感じさせるほど多民族と混在しているということでしょう。

 空港内で食したタイ料理 米から作った麺 鳥肉と野菜が入っていてスープは牛 
注文するときに鶏肉麺で,しかし豚か牛かと聞くので鶏だというとスープは豚か牛かということだった。牛のスープを注文。私の感覚では鶏肉なら鶏のスープだろう、と思うのだが千差万別。
 風味は漢方のような牛の汁に鶏はU~nという感じでした。
 真っ赤な唐辛子が一本入っていて半分齧ったら口から火が出ました。何のために入っていたんだろう。しばらく口中が痺れて喉が痛い。激辛の苦しさに悶えました。もう食うのをやめようかと思いましたが完食。その後1時間近くは喉が痛かった。とんがらしを齧る馬鹿な真似はしなかった妻は平然としていました。痛みはその本人にしか分からない。
 当初の予定では荷物を預けてスカイトレインでダウンタウンまで行く予定でしたが言い出しっぺの妻がイイよというので空港内をうろうろ土産物店など探索しました。
バンクーバー空港4 010
空港内で会った介助犬グローバー 
Smile smile と言っても笑ってくれません。連れていたおばちゃんが笑っていました。
 免税店では世界第3位のウイスキーを二瓶36ドルで売っていたのでゲット。一人一本がルールのはずがどうして二本かは謎です。バランタインのウイスキーを二本抱えた客が一本だけですとやんわり断られていました。多分、私ともう一人、そのウイスキーに限り二本可を抱えているのを見てバランタインを二本だったのだろうと推察します。
持っていたカナダドル日本に持って帰っても仕方ないので使いきってしまおうとアレコレ、がっちり買いましょう(古い、大昔そんなテレビ番組がありました)状態で3セント残りました。これは羽田の空港に設置してあった募金箱?のようなケース、不要の外貨を皆が入れるので札など含めて結構な量がありました、各国のお金仕分けるの大変だろうと思いつつ、そこへ募金してすべてなし。
 帰りの飛行機は16時間かかりました。地球の引力に逆らって未来へ飛ぶのだから時間がかかる。
 短いが有意義な旅行となりました。eTAビザは6年有効なので機会をつくってまた行ってみよう。
疲れたせいでボーっとしているんだろうと思っていたらジェットラグということに後から気が付きました。ちこちゃんに叱られる。駅まで息子に迎えに来てもらってようやく帰還。我が家のチーちゃんも大喜びでした。 日本時間8月14日に戻ってようやくおしまい。

暮らしの中の合気道
合気道 小山田道場

ビクトリア。。

8月12日
 B&Bからシュワルツベイまでロバート氏に送ってもらいしばらくフェリーの出航を待つこと小一時間。結構早く着いたので待合所もガラガラ。コーヒーを飲みながら港の景色を眺めていました。しばらくすると人々が集まりだし待合所も一杯になりました。
ソワード 003 
到着したフェリーがでかい。写真で見ると分かりますがトラック、バスなどは下の開口部、二階の開口部からは普通車が続々と上陸してきます。見ているとフェリーの喫水線が上昇していくのがわかる。人々も続々と通路を通って上陸してくる。すべて出尽くしてから乗船。ビクトリアのスワルツ湾まで1時間半ほど波も穏やかでフェリーは揺れることもなく巨大なビルの中にいるようでした。
5階まであり全てのフロアーは人でいっぱい。
いざ出航・この日は薄曇りでした。

 ツワルツからビクトリアのダウンタウンまでバス。ここでも長い行列。バス停には二階建てバスが止まっていました。あれに乗れたらいいがこの行列では無理だなと思っていると案の定7~8名手前で定員オーバー。バスの運転手が20分すれば後続が来るとアナウンスして二階建てバスはユラユラ揺れながら走り去りました。
 私たちの前に女子大生風の一団がいました日本語で会話していたので夏休みで旅行中といったところでしょう。全員がすべてスマホを見ている日本でよく見かける光景ですが他の外国人観光客は誰一人スマホを見ている人はいない。そういえばバンクーバーでスカイトレインに乗った時の乗客も街中を歩いている人もスマホを見ているなんて人は誰もいなかった。この女の子たちは会話の様子からバスの路線を調べているようでしたが行列の脇に路線表示板あるのに見向きもしない。読めないのか?
 新しくバスが来てもああでもないこうでもないと全く動く気配がないのでこの集団をスルーしてバスの運転手にビクトリアのダウンタウンまで行くことを確認、一日乗り放題パスを購入して座席に着きました。その間ほかの乗客も次々に乗り込んできました。
 ダウンタウンまで一時間以上かかりました。路線バスの旅。着いた先はインナーハーバー。

1700年代にヨーロッパ人が入植するまでは、先住民族の海岸サリシュ族の居住地域であった。1843年ハドソン湾会社の手によって作られたフォート・カモザン(Fort Camosun)が起源。のちにフォート・ビクトリア(Fort Victoria)と呼ばれるようになり、1849年、バンクーバー島がイギリス植民地となってからはその首都となった。1858年にブリティッシュ・コロンビア本土に金鉱が発見されると、その補給基地として発展。1866年に本土のブリティッシュ・コロンビア植民地と統合されても、ヴィクトリアは首都の地位を保った。1871年、ブリティッシュ・コロンビア植民地がカナダ自治領に加入してからは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都

1933年昭和8年)にカナダのバンフで開かれた太平洋問題調査会会議に、日本代表団団長として出席していた新渡戸稲造はこの地で倒れ、10月15日に71歳で永眠している。~Wikipediaより  

 イギリス人たちが最初に上陸した場所。ビクトリア州議事堂が立派。周囲の景観も見事でした。

 ここには各時代の戦争で亡くなった兵士の記念碑が建てられていました。第二次世界大戦はもとより朝鮮戦争、湾岸戦争などカナダはこんなにも多くの戦いに兵隊を送っていたのかと驚きました。知らなかった。ちなみにビクトリアは岩手盛岡市と姉妹都市。これも知らなかった。
ビクトリア1 002  ビクトリア1 004 
議事堂       二人でパチリ

 何はともあれ腹が減った。港湾内にある案内所で帰りのフェリー時刻表を貰い妻が行きたがっていたブッチャートガーデンへのバスを確認した後すぐ隣にあったレストランで腹ごしらえしました。
 75番のバスで再び路線バスの旅。
ブッチャートガーデン 001  ブッチャートガーデン 004  ブッチャートガーデン 010  ブッチャートガーデン 009  ブッチャートガーデン 006 

s-ブッチャートガーデン 011  ブッチャートガーデン 012

オンタリオのオーウェンサウンドに住んでいた、セメント製造業者のロバート・ブッチャート(Robert Pim Butchart)は石灰石の採石場を求めてカナダ西海岸に移り、1904年に採石場近くに邸宅を建てた[2]。妻のジェニー・ブッチャートの発案で、横浜出身でビクトリア市で人気になっていた日本人造園家、岸田伊三郎(当時65歳)によって1908年頃、邸宅に作られた日本庭園は人気を集めた[3] 。1909年から採掘の終わった採石場跡を庭園として整備して Sunken Gardenとして、1921年に完成した。屋敷を"Benvenuto" (イタリア語で歓迎の意)と名づけ、庭園に客を迎えた。1926年にテニスコートをイタリア式庭園に変え、1929年に家庭菜園をバラ園に変えた。1939年に21歳になった孫のイアン・ロスに庭園は贈られ、ロスは没するまでこの庭園の運営や宣伝に従事した。 ~Wikipediaより

 東京ドーム5個分の広さということでテクテク歩く。最後にたどり着いたバラ園で休憩。アイスクリームを食べました。少し甘みが日本とは異なる、私には少々甘すぎるバニラでした。以前アメリカで食した甘みはゲッとくるぐらい甘すぎたがそこまではいかない。
 帰りのフェリーは午後7時出航なので5時にはバスに乗らなければならない。とにかくこの日はバス旅が長かった。一日中バスに乗っていた気がする。一日乗り放題パスが便利でした。
 午後8時半過ぎに到着することをフェリーの船着場ツワルツからロバート氏に電話。この公衆電話、日本の感覚でロバート氏から手渡された名刺の番号をそのままダイヤルしてもつながらない変だなと思い公衆電話のかけ方を確認すると地域番号を付けてからダイヤルしないとかからない。地域番号1とある。1の後に名刺の番号をダイヤルすると直ぐにつながった。電話は25セント、四枚入れてあっという間に落ちていきました。
 ビクトリアの夕日 004 ビクトリアの夕日



 シュワルツベイではロバート氏と山本さんが出迎えてくれました
帰りの車中「薬を買うからリカーショップに寄って。」と頼むと山本さんが運転しながら「何の薬?」
私が「寝るための。。」と言うと「寝る⁇」首をかしげます。「ビールだよ。」後部座席からロバート氏。ということでB&Bからほど近いリカーショップに寄ってもらいビールを購入。
 リカーショップ入り口近くに小銭をせびる男がいました。そういえば日本では死語になっている乞食、何人か見ました。ビクトリアでも綺麗な繁華な街並みに灰色の毛並みの薄汚れてぐったり伸びた犬を抱いたこれもぐったりとした男が帽子の中に小銭を貰っている姿がありました。人よりも犬が哀れに思えてしまいました。
この日はビールを飲んでぐっすり。

暮らしの中の合気道
合気道 小山田道場


この日は。。

8月11日
 ロバート氏の道場バーナビー「尚武館」で指導稽古の日。
道着に着かえて待っていると続々と稽古者がやってきました。尚武館の稽古生以外にも空手の先生、他流派の合気道稽古生がいました。基本誰でも受け付けているようです。なかに日本人の親子がいましたドラえもんのTシャツを着ている。ひょいと手を差し出し「おはよう!ドラえもん」というとはにかむように握手してきました。海外で生活していると挨拶の握手も自然なのでしょう。駐在員の家族ということでした。「邪魔にならないように端っこで稽古しますからよろしくお願いします。」とお母さんが言ってましたがどうしてどうしてシッカリ動いていました。もう一人日本の女性が混じっていました。美千代さん、見た目70歳代。この人は14年バンクーバーに住み着いて合気道と空手の稽古をしている。道場に一番にやってきて稽古前の掃除をしていました。雑巾を持って道場の外壁も拭いていました。その間にも稽古生はやってくるのですが別に手伝うでもなく三々五々雑談をしています。一人美千代さんだけが掃除をしていました。「掃除してるの美千代さんだけだね。」と声をかけると笑っていました。
 稽古5分前になり事務所から出てみると戸口にアジア系の人が道場の様子を窺うようにたたずんでいるのでおいでなさいと声をかけるとおずおずと入ってきました。すでに稽古生は正座していましたから稽古に遅れたと思い躊躇していた様子。稽古後、何年空手をやっているのかと聞くと明確な年数は答えませんでしたが日本で空手を少し稽古してこちらで教室を開いているとのことでした。この人の他にも空手の先生が参加していました。ロバート氏のところでは土曜日には居合道、日曜日には空手の教室を貸し出しています。道場には空手のグローブ、正拳突き用の板などがありました。
 神前に礼、先生に礼、普段の道場と同じく稽古は始まりました。自己紹介から入りロバート氏とのつながりを話す。今日の稽古は肘の使い方。 技は片手持ち二か条抑え(2)両手持ち天地投げ(1)(2)二か条の締め方は力まないことが重要等、普段小山田道場で説明していることをレクチャーしました。実は小山田道場の稽古生にとっては普段からこうした説明(身体各部の使い方について)は当たり前のこととして受け取られていますがこれらの内容は小山田道場独自のもので日本でも他道場の講師として迎えられ、技の解説をすると新鮮さと驚きを持って迎えられます。尚武館道場にしても然り。
 稽古後、美千代さんが妻に「わかりやすかった。」と感想を伝えたそうです。

尚武館 018 
集合写真

正座法

 尚武館 002
基本動作

 尚武館 007 尚武館 015 
稽古風景
以下は両手持ち天地投げ(1)(2)


稽古終了後雑談をしながらは三々五々解散。

 この後B&Bまで送ってもらい妻がメトロタウンに行きたいというのでスカイトレインで行きました。
巨大なビルに大型店舗がぎっしり詰まっていました。日本でいうとイオンモール、それの2倍ほどの規模。もっと大きいかもしれない。お店が多すぎて何屋さんがあったか思い出せない。おもちゃ屋にはガンダムのフィギュア、本屋にはmanga専門の書棚。妻が本屋に行きたいと言ったのでようやく見つけた本屋。マンガはすでに国際用語。あったあったからあるあるまで揃っていました。
 面白いと思ったのは Men Interested と表示された雑誌コーナー、なるほどと思いました。
とにかく歩きくたびれてB&Bに帰りつきました。

 午後6時からロバート氏の知人の退職記念パーティーに参加しました。稽古にも来ていたカナダ人の空手の先生、実は市の仕事をしていたようです。かといって市の職員ではないということなので市から委託された業者と言ったところでしょうか。それぞれが和気あいあい談笑していました。ロバート氏に言わせると知った顔はその空手の先生とその娘さんだけとのことでした。日も暮れて辞去しました。

 ロブと2 002  ロブと3 002  ロブと3 003  ロブと1 001
ロバートと空手の先生の娘さん 妻とロバート くまさんの前で

ロバート氏の奥さん山本さんも同伴でしたので小話を一つやったら受けていました。
 居酒屋の前の水たまりで老人が釣りをしている。通りがかりの男がそれを見てキット頭がおかしいに違いないと思い「何してる?」と声をかけると「釣り」「どうだい一杯奢るよ。」いいねーというわけで居酒屋に。「釣りをしていたそうだが釣果はどうなの?」「上々」「上々って何匹釣れたの?」
「あんたで7人目」 かいつまんで言えばこんな話。

山本さん曰く「つまりただでビールを飲む話ね。」
 
 最近は英語で落語を演じる噺家が多く落語も世界に広がっています。学者でありながら自ら落語を演じている大島希巳美江氏やプロの噺家、立川志ん春さんは面白い。落語を英語で演じる皮切りはなんといっても桂枝雀さんでしょうが行き詰ったか自ら命をったってしまったのが残念。You tube には結構、英語落語を話す人が載っています。これに乗じてかイタリア語落語やフランス語落語などもちらほら。日本人もさることながら海外からの人なども含めてWorld wide な展開になっています。

you tubeに英語落語はあるよ、と言うと山本さん驚いていました。

さて明日はビクトリア。

暮らしの中の合気道
合気道 小山田道場

















キャピラノ吊り橋。。

8月10日
 朝はかりかりベーコンとスクランブルエッグ、小ぶりの食パン二切れ、ブルーベリー、コヒー、オレンジジュースの定番の朝食。これも前日宿泊内容を確認したところ朝食は出ないということだったのですがせっかくだから一回くらいは食してみたいと思い急遽予定に入れてもらったもの。一人15ドルで計30ドル。少し高い気もしましたがわざわざ朝、車でやってきて作ってくれるのですから有難いことです。チップを5ドルはずんだら喜んでいました。
 二日目以降は徒歩圏内に7イレブン、スーパー、リカーショップを教えてもらったので朝はセブンのサンドイッチと牛乳で済ませることにしました。大体において大きな国ですから一つ買って二人で分け合えば事足ります。スーパーでビールを買おうと思ったら全てノンアルか0.5~1%程度のものばかり、もっと強いのはないのかと聞くとリカーショップがあると教えてくれました。カナダはアルコールとたばこには厳しい国で7イレブンにはアルコール類、たばこ(どこに行っても煙草は見なかった、日本では考えられない光景です)は置いてなく本物のビールが欲しければリカーショップに行くしかない。従ってリカーショップもなんだか秘めやかな場所に行くような気分でした。銘柄は各種地ビールからサッポロ、キリンと日本のビールも置いてある。後から聞くと日本のビール工場があるそうです。
どれを選んでよいのか迷った挙句、安かったということもありなじみのあるサッポロにしました。キャッシャーでカナダで最もポピュラーなビールは何かと聞きましたらどうやら地域地域で造る地ビールがありバンクーバーではカリブーだかナンとかだか言っていましたが後日探そうとしても兎に角、数がありすぎて見つかりませんでした。日本のように大手企業が一手に造って全国に配送する仕組みではなさそうです。ようやく日本でも地ビールが人気を得始めているようですがまだまだカナダに比べると規模が小さい。ワイン、ウイスキーなどもありましたがこれはやめておきました。ちなみにカナダのウイスキーは世界第3位だそうです。
 余談ながら、ウイスキーといえばオンザロックが私の好みになっています。オンザロックといえば氷。B&Bの大型冷蔵庫には氷を冷蔵庫を開けずに外から取り出せる仕組みになっていました。グラスを押し付けるとカラカラとグラスに氷が落ちて来る。日本の冷蔵庫では見たことが無い。唯一ファミレスに行くとドリンクバーにそれがある。
 
さて、キャピラノ吊り橋。長さ140m 高さは70m。キャピラノ川に架かる吊り橋。観光地ということもあり長蛇の列でした。観光ガイドにあるような雄大な景色の中を数人が渡っているイメージからは程遠い。人の波に揺られて左右に揺れ動いていました。荒れた海を行く船のデッキに立っていることを想像してください。橋そのものはワイヤーで釣るされ足元も硬質な板張りで頑健そのものでしたので140mの人波でも不安感はありません。キャピラノ川の流れが眼下に広がりそれをはさんでカナダの山林がせり出している景色は日本では見られない。日本国内で徳島に行った時に渡ったかずら橋をふと思い出した。キャピラノと比べて規模は小さいがスリルという点ではかずら橋がはるかに勝っている。
葛(かずら)で編まれた吊り橋だが足元は葛で編まれた交点を一歩一歩踏みしめ交点以外の2~30cmの矩形の空間に足を落とし込まないようにしなければならない。とにかく隙間だらけです。周りの景色を見るというのではなくまさに渡るといった実用面だけの橋がかずら橋。
 キャピラノ吊り橋を施工するにあたり移民した日本人が多く関わっていることを知りました。そう言えばロバート氏の奥さん、山本さんから移民時代のお爺さん叔父さん古い写真を見せてもらった時に日本名は一郎、次郎だが英語名(これも聞いたが忘れた)も名乗っていたと話していました。
 3年前、「バンクーバーの朝日」という映画を観たのを思い出しました。移民としてカナダに住む日本人の若者たち、港湾労働者として働くが体が小さいことなどを理由に馬鹿にされるのですが野球チームをつくり(チーム名が朝日)一致団結して見栄えのあるプレーはできないが小さく足で稼ぐ作戦で優勝する。自信を得てカナダ国民として認められていく話。
 先住民のトーテムポールが至る所にあり、巨大な杉の木が林立して圧倒されました。とにかくでかい二抱え三抱えもあるような巨木がビルの3,4階ほどの高さで聳えています。そのなかほどにデッキを設けて吊り橋で巨木から巨木へ回廊が延びています。デッキまでは地上から階段がありました。
ぐるぐる巡り歩いて空中散歩といったところです。
s-キャピラノ吊り橋 002  キャピラノ吊り橋 007   キャピラノ吊り橋 008  キャピラノ吊り橋 014 
キャピラノ吊り橋 キャピラノ川   モニュメント    空中回廊

モニュメントの小スペースでは実際に腕に鷲をとめて説明してました。
何か芸でもするのかと思ったら何もしなかった。ちょっと拍子抜け。
二か所ほどに池があり虹鱒が泳いでいました。

キャピラノ吊り橋 004  
ロバートと妻と私 
キャピラノ吊り橋 016 
この土産物ショップで妻はハガキを買いました。ハガキを出したのは13日(カナダ時間)帰りのバンクーバ国際空港。届いたという知らせは20日(日本時間)でした。約一週間かかって届いたことになります。

キャピラノ吊り橋から車で小高い山に移動。日本で言えば高尾山かな?山の頂上からはバンクーバーの港が一望できます。この日はやや薄曇りで視界は今一。実に静かな場所で爽やか、心が落ち着きました。
ロブと4 001      ロブと4 003 
トーテムポールが一杯    薄曇りで視界不良

この後都会の喧騒に舞い戻りバーガーショップ ホワイト・スポットでお昼。妻はどうしてもサーモンバーガーということで食ってました。私とロバート氏は普通にビーフバーガーとビール。大きさは日本と変わらないサイズでしたがボリュームは満点。日本だと二個食べる私ですがここでは一個食せば充分でした。胡瓜のピクルスが5cmほどの長さでバンズの上にピロっとのっているのが面白い。

 この日の夜はロバート家にお呼ばれでした。前もって何が食べたいか聞かれここでも妻がサーモンと答えていました。ロバート家には二十歳になる娘エミリーさんがいます。車中で大学を中退してダンスをしていることマッサージの学校に行っていることなどを聞いていました。ロバート氏は被虐的な物言いをする人なのでバカ娘だと言っていました。私が「しょうがないよ、あんたが父親なんだから。」と言うと山本さんも多分同じ言い方をするよと答えてました。でも実際に会ってみると聡明そうな娘さんでした。日本語も堪能でロバート氏の日本語を直すそうです。私たちの訪問に合わせてどこかへ出かけていきました。そりゃ見も知らぬオジサンおばさんじゃ話も合わないしね。ロバート氏は出かける娘のおでこにチュッとして送り出しました。
 ロバート氏自ら調理するサーモンは絶品でした。きれいなピンク色の三枚におろされた切り身はそのまま刺身で食べてもいいような風合いでした。これを上手く焼き上げ塩コショウで味付けした一品でした。彼が調理している間に居間に置いてある思い出の品々写真を見て回りました。演武会での最優秀トロフィー免状などロバート氏が日本で合気道修行、英会話の先生として生活していた10年間の思い出がぎっしり詰まった居間でした。かつて道場に掛けてあったロバート氏の名札がありこれは誰がくれたか知っているかの問いに分からないというと「君だよ。」全く覚えていなかったと言えば嘘になるそんなこともあったかも知れないと記憶の底をたどると微かながらその映像に行き当たりました。彼はそのことが余程嬉しかったらしく飾ってあるのでした。その後ペットの話、道場のことなど色々な話題が続きました。
 ロバート氏の奥さん山本さんはアンティークな日本の家具、陶器などを仕入れ販売しているので気に入った家具類は居間に置いてありました。子供の頃田舎に行くとあったよなっと思う懐かしい箪笥の上には古びた親族の写真、可愛がっていたペットの写真がありました。ガラスケースには収集した陶器の小物類があり海外の一般家庭というよりなんだか日本の田舎に来たような部屋でした。妻には別の部屋の桐のタンスなどを見せて回り時折日本に買い付けに来るのだと言っていました。昔住んでいた武蔵小金井(養神館本部道場があった)にも来るようで仕事仲間がいるとのことでした。
 
 この時期カナダはサマータイムで午後9時を過ぎる頃には暗くなっています。いろいろな思いを抱えてB&Bまで送ってもらいました。

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バンクーバー顛末記

8月9日 日本
 台風の影響を懸念した数日を過ごしたがこの日は好天。ANA115便で羽田を飛び立った。
21時50分発の夜間飛行のため窓からは何も見えない。機上する前にせたが屋で軽くRa-menを食した。機上では普通に機内食がでたが考えてみれば深夜の食事、普段なら、寝てる時間。着陸数時間前にも機内食が出たが養鶏場のニワトリになった気分でした。夜間出発でしたのでバンクーバーに着く頃は普通に明るくなってくるので夜明けかと錯覚するが実は現地時間では14時を回っている。
 飛行機の窓も遮蔽サングラスの色の濃さが調節出来てソウなんだと感心。昔なら遮蔽板一枚で窓からの強烈な光を遮るだけだったのに技術の進歩に後れを取っている私がいました。
 寝たか寝なかったのか分からぬ状態で映画を3本観る。バンクーバー島の景色を眼下に見る高度に至り家々の窓が飛行角度の加減でキラキラ光って歓迎されているような気分。
 そして8月9日14:45にバンクーバー国際空港に着陸しました。
 入国に関しても合理化が進みニョキニョキと林立するIT機械。日本語での対応も可能でタッチパネルに触れるだけ。ここで戸惑ったのが申告の有無を問われ当然申告するべき物品だと思ったのが間違いで入国人数のことでした。近くにいた係り員のおネイサンに聞かなければ分からなかった。無事入国。
 さてここでもう一つ、着いたことを連絡しようと携帯を取り出したのはいいのだが全くの圏外、うかつでした海外用に変更してなかった!!電話ボックスも見当たらないしコリャ羽田でレンタルスマホ借りておけばよかったと思ったが後の祭り。マ、ここにもあるだろうと思って聞いてみるがどうもなさそう。とりあえず外へ出るか、と思いロビーに行くとすでにロバート氏がいました。
 飛び上がるようにして声をかけました。一歩一歩近づくに従い突然に顔の表情筋が波立ち懐かしさのあまり涙が出そうでした。泣きそうだよ、と言いながらの30数年ぶりの握手、抱擁でした。師範は泣かないよ、とロバート氏が日本語で応じました。メールでは日本語はすっかり忘れたと言っておきながら忘れてませんでした。この人はこういうひとなのです。
 宿泊先のリリーズB&Bには前もって連絡を入れておかねばならずロバート氏の運転するかなり年季の入った三菱ランサーの車中から電話。
 宿泊先からはスカイトレインのロイヤルオーク駅が近く、徒歩15分程。このモノレールは空港から至る所を走り回っているので便利です。後日隣のメトロタウンに妻と行くときに利用しました。ただ、座席が狭く日本人の私から見てもちっちぇっという感想でした。大柄な人は座れない。ロバート氏もこのトレインは嫌いだと言っていました。いずれにしても交通の便は良く地下鉄も走っているので今回は国際免許を持たずに来ました。
 でもほとんどの移動はロバート氏または彼の奥さん、日系三世カナダ人の山本さん(彼女はホンダに乗ってました)運転の車でした。 
  そして街中を走る日本製の車の多いことには吃驚。トヨタ、ホンダ、マツダ、日産、スバルの順でいっぱい走ってました。中古車派の山本さんはスバルのSUVが欲しいのだが所有者が抱え込み中古市場に出回らないと嘆いていました。新車だとべらぼーに高いのだそうです。
 タクシーがフィットだったのは面白い。しかも運転手にインド人が多い。インド人はいっぱいいました。ターバンを巻いているのですぐわかります。
 バンクーバーではメイン通りには信号機がありますが裏道(といっても我が家の前の新小金井街道よりはるかに広い)には信号機がなく右側優先で一時停止後右の車が出れば自車とルールが決まっていました。ただし中国人が多く住む地区ではこれが守られないようで、危険だ、とはロバート氏の弁でした。
 この日は6時に迎えに来るというのでB&Bでくつろいでいました、というよりベットに横になっているうちに眠ってしまいました。
 夕食は妻と私、山本さんとロバート氏の4人で中華をいただきました。大量に出て来る皿と分量に目を見張りながら食べたマーボー豆腐、酢豚、色鮮やかなでっかい葉っぱ(野菜の種類が分からない)の油炒め、烏賊フライ等、美味しかった。ご飯は赤いポットに出てきて各自が小さな茶碗によそっていただきました。といっても私は大量のごちそうだけで充分でしたのでパス。最近ご飯は控えているというと山本さんが、ああ、炭水化物ダイエットね、とすぐに応じてくれました。最後に焼きそばを注文したのにはビックリ。そんなにくーのか。残したらもったいないと言うと大丈夫、持って帰れるから、タッパーに詰めてもらっていました。明日のロバート家は朝から焼きそばかいなと思いながらこのシステムは良いと思った次第です。
 この後は寝るだけ。B&Bまで送ってもらいました。
 さて、顛末記も今日はここまで。つづく

Facebookには写真、動画をすでに載せてあります。興味のある方はのぞいてください。

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さて、今夜フライト。。やはり運が良い。

 心配したほど台風13号の影響もなく息子は今日早朝の飛行機のはずが昨夜の便で福岡に飛び立ちました。私たちは今夜10時のフライトなのでその頃には天気も安定するようです。バンクーバー着は⒕:45.時差の関係で行きはBack to the past. 帰りはBack to the future.となりますがこうして文字にしてみるとSFっぽい。
 あちらの天気は土日にかけて曇り時々晴れの模様。土曜日はロバート氏の道場でレクチャーの予定です。
 ラジオでは赤坂では横殴りの雨、とか言っていた頃こちら小平では少し雨が降る程度でした。地域地域で大分異なる。夜中に風がひゅ~ひゅ~鳴ってたけど今は何ともありません。テレビで報道している台風は映像的にも影響の強い地域なのでしょう。
 何はともあれ昔も今もいくら時代が進歩しても自然災害はついてまわる。現代人は15000年前から身体的頭脳的な変化はないとどこかでききました。
 何もかもなくなったら石器時代に戻るかな?

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なんてこッたい。。

 何だか台風が接近してるようで夏休みのバンクーバーはどうなることやら。明々後日には台風が上陸という予報です.私たちの出発便は午後10時頃だからそれまでに何とかなれよと思っています。息子は台風上陸予報の早朝のフライト。私たちは今まで運がいいので何とかなるさケセラセラといきましょう。

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ついに8月。。

 今年の夏休みはバンクーバーに妻と行ってきます。1月に航空券を予約した時には座席は結構埋まっていました。それからあっという間に時間が経ち来週の今頃は飛行機の中。バンクーバー、バーナビーには旧知の合気道家ロバート氏が道場を開いています。約30年前、養神館の本部が小金井にあった頃の稽古仲間です。永く音信不通でしたが去年Facebookを始めたときに連絡があり今に至りました。
 彼の道場で稽古をしますが今回は主に観光が主眼です。妻の行きたいところへお供するつもりでいます。観光先はキャラピンの吊り橋、ビクトリア、ブッチャートガーデン、市内観光を予定しています。
 夏のバンクーバーは湿度が低く気温も21度前後のようです。少し肌寒いくらいなのかもしれません。短い滞在となりますが楽しみにしています。息子も九州へ旅行ということでチーちゃんはペットホテルに二泊三日のお泊りになります。みんなそれぞれ旅人となるわけですが、また激やせするんじゃないかとチーちゃんについては心配です。旅先の顛末については後日。

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