南紀白浜 アドベンチャー。。

 三泊四日の旅行もあっという間に終了。さすがに疲れましたが良い思い出になるでしょう。
ということで、出かけたのは南紀白浜。小平の自宅から車で9時間ほどの行程。宿につく前に立ち寄り地に設定したのは和歌山県田辺市、扇ヶ浜公園。何故か?ここには合気道創始者、植芝守平翁の生家が近所にあり有志による守平翁の銅像が公園内にあるからなのです。松林を抜けると背後から西日を浴びた銅像が立っていました。翁の生家はすでに「無い。」とは近所のご婦人。

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銅像の下、横からもパチリ。太平洋に沈む太陽の残照を浴びて背後が金色。この立ち姿は入り身投げ。 
 
 陽もトップリと暮れて今夜の食材をとれとれ市場で物色。鮮魚や地元の物産品が豊富。300m 程の所にとれとれ湯がある。南紀白浜は100m 間隔ぐらいに温泉があるような街並みでした。紀伊半島はマグマ溜まりに近いそうです。

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さんま寿司やら買って今夜からの宿に向かう。ゲストハウスだから自炊だが朝はコンビニのサンドイッチで間に合わせよう。

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動物愛護団体のメンバーであるオーナーが経営するゲストハウスプラスワン。玄関周りには近所の猫が集う。元は旧国鉄の保養地であった。何故分かったかと言えばシーツに「国鉄」と入っているのを妻が見つけたから。管理人はアメリカ人の妙齢なご婦人でした。ゲストハウスのすぐ裏が景勝地、三段壁になっている。三段壁は<さんだんべき>と読む。知らなかった。地上から30m下ったところに牟婁大弁財天が祀られている。牟婁、これがまた読めなかった。<むろ>と読む。(観光の)皆さん読めません、とは三段壁の青年。

さて、翌日。
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この日は良く晴れました。三段壁から望む太平洋。昔はこの切り立った岩場から猟師が魚群を観たそうですがよっぽど目が良いとみえる。私の目にはただの海でした。
エレベーターのドアが開くと。。
三段壁 灯台 とれとれ 009 こんなでした。
正面に小舟と海のパネル。洞窟なので波の音がおどろおどろしく響いていました。
三段壁 灯台 とれとれ 018 こうした通路を歩いていくと、弁財天がある。その昔、熊野水軍が暴れ回っていた頃この辺の岩場は船の隠し場所になっていたと伝わる。

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洞窟内の壁面。岩面を十通りに見立てた十像岩。写真はクリックすれば拡大されます。
通路をさらに行くと。。三段壁 灯台 とれとれ 024 大弁財天。三段壁 灯台 とれとれ 022 お参り。
三段壁 灯台 とれとれ 028 熊野水軍の暮らした小屋。木乃伊が鎧を着ていました!?

三段壁 灯台 とれとれ 034 洞窟内を洗う波。

三段壁 灯台 とれとれ 036 世にも珍しい太古の海の波跡が印された洞窟内天井。

外へ出ると眩しい。一路、潮岬に行きました。
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潮岬灯台とその風景。この日は暖かい。
三段壁 灯台 とれとれ 068 三段壁 灯台 とれとれ 073対になる樫野﨑灯台と磯の荒波。
潮岬沖は航海の難所で昔、トルコの船が難破する海難事故があったそうです。
586人のうち救助されたのが80数人とかで大きな事故でした。その時救助に当たったのが周辺の漁民。時代を経てそれを聞いた初代トルコ大統領が国費で遭難にあった船員を埋葬した場所に記念モニュメントを建設しました。トルコの産品を置く雑貨屋さんが二軒ありました。伸び~るトルコアイスが美味しかった。ガムのように伸びるのです。今までにない食感で気に入りました。アイスに歯ごたえがある。
今日の最終目的地は橋杭岩。「はしくいいわ」とは何ぞや。イメージが湧きませんでしたが見てなるほど、と納得しました。
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これがそれ。橋脚のように整列しています。なにゆえこのような奇怪な有様になったのか、ちゃんと説明がありました。この辺りは砂岩大地でその昔マグマが砂の中に潜り込み冷えて固まったそうな。砂の大地は波浪風雨に晒されて削られた結果冷えて固まった溶岩、岩が露出したという訳。上手く説明する人がいるものだ。納得してしまいました。潮溜まりには大小無数のヤドカリがいました。
 陽も陰り始め宿を目指す。再びとれとれ市場で今晩の食料を買い込む。ここの大食堂で人が食っている天丼がボリューム満点で美味そうなので後日、食することに決めた。妻が食いたいと言ったのです。ここから宿まで🚙で20分程。 

 今日も晴れ。天気予報では曇り、雨だったがラッキー。熊野本宮大社から円月島、とれとれ市場で懸案の天丼を食し千畳敷、昭和天皇が行幸した温泉に浸かって帰宿する予定。

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鳥居をくぐって参道の石段を行く。途中に大きな絵馬。それぞれの抱負が書いてありました。
そして社殿。天地人、球形の八咫烏。

 熊野権現は広いのかと想像していましたがそうでもなかった。熊野古道が世界遺産に登録されたのを機に同じく世界遺産に指定されたスペインにあるサンティアゴ・デ・ポステーラへの道、世界遺産参詣道として登録されたのは二つだけだそうです。
 サンティアゴ・デ・ポステーラにはキリスト12使徒の一人ヤコブが埋葬されている。その地にはヨーロッパ各国からの道がある。熊野大社からは滝代王子、熊野那智大社、高野山、発心門王子、熊野速玉大社までの道。両国にまたがりこれらを巡礼する壮大なスタンプラリーがある。「良かったら行ってみてください。」と手渡された案内には72か所もスタンプを押す欄があった。説明してくれたお土産屋さんの御主人は311Km歩いたそうで証明書が飾ってありました。全部歩いたら数千Kmにもなるでしょう。スタンプは100Kmで一区切りだそうです。1日10km10日に分けてもいいそうです。
挑戦したい人は是非どうぞ。
 隣の茶店で抹茶セットをいただいて円月島に向かいます。

熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 017 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 021 グラスボートで海底を覗くとブルーの小さな魚達がいました。テーブル珊瑚が多く見られ、大小の魚がスイスイと目の前を横切りしばし海底散歩の気分でした。円月島は真ん中に9m程の穴が開いています。家の道場の高さが9mなのでちょうど収まる計算。
 昼時、グラスボートに乗っ後は懸案の天丼を、ということで一旦とれとれ市場に直行。

熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 041 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 042 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 044 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 043 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 047
昼間に来たのはこれが初めて。食堂では人々が行列をなしていましたが手際よく給仕しているのでそれほど待ちません。これがその天丼。肉厚でほこほこ美味かった。

 さて、円月島の海べりには京都大学白浜水族館、南方熊楠記念館があります。熊楠記念館は休館中でしたが水族館に行きました。
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 コバンザメを真近に見るのは初めてでした。むなびれ辺りに小判模様があり成魚になるにしたがい頭部を覆っていくそうです。これで他の魚に引っ付くのか。ひょうきんなハリセンボン口を開けて見ています。ウツボは獰猛そうな顔です。この水族館は勅刺動物、イソギンチャクやヒトデ、珊瑚などが多く展示されていました。地球上最大のゴカイが気持ち悪かった。ウミヘビかと思いました。初めて知ったことが、蟹、蝦など甲殻類の顎は左右に嚙合わせるということ。これは左右の前足が顎に進化したものと考えられているそうです。そういえばウルトラマンに出てきた怪獣の中には左右に口が開くのがありましたっけ。映画エイリアンの顎を開くと奥から歯が飛び出してくる、深海魚に同じ構造があるものを伊豆は戸田の辺りで見たのを思い出しました。いかなる生物も捕食しなければ生きられない。罪深いことです、と言えるのは衣食住が足りているから。野生で生きるにはそげなことは言ってられない。

熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 080 - コピー 千畳敷に行く途中で寄った白良浜。海水浴場。砂が全て白い。

熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 094 - コピー 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 091 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 087 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 084
千畳敷は砂岩大地。。二枚目に写る女性は三段壁で再び会いました。意外と一人旅の女性が目に付きましたがそうなんだ。ゲストハウスに戻って三段壁の足湯に浸かろうとテクテク歩きすでにぬるくなった湯から出ると一昨日は行かなかった反対側に向かいました。
熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 100 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 102 熊野権現 円月島 京大水族館 千畳敷 三段壁 とれとれ 101
太陽が西に傾き海面を金色に染め始めてきました。今日一日も暮れようとしています。
昭和天皇が行幸したという「牟婁の湯」で疲れを癒す。左右を一方通行の道路に挟まれて洲のような所にありました。白湯はぬるめ黒湯は熱め。熱めといえばゲストハウスの温泉も熱かった。というより熱すぎる。なので半身浴。湯船から出ると臍を境に紅白の模様がしばらく取れないほど温度差が残りました。これを妻に話すと女湯はぬるかった由。私はしばらく汗が止まらず往生しました。
牟婁の湯はそこまではいかない。でも熱め。
 お風呂は血液の流れを循環させ疲労も流してくれる、それを実感できる年代になってきました。子供の頃はお風呂は嫌いでしたが今では何かというと温泉に行きたがる。

今回の南紀白浜は海岸沿いを中心に巡りましたが今度は熊野古道を歩いてみよう。至る所に熊野古道入口の看板が見えました。
 この日の夜から台風のような風が出て朝方から午前中にかけては大雨となりました。
彦根城につく頃には風雨も収まり一安心。途中で購入した傘が無駄になりましたが、濡れぬ先の傘、ということで安心だけを買いました。
 その後、伊良湖岬まで今回最後の宿泊地、渥美半島の先端にある田原屋に向かいました。

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琵琶湖八景 月明 彦根の古城  櫓を攻略しつつ、ひこにゃんとツーショット、天守まで攻め上りました。どの城もそうだけど梁の太さ組み合わせが凄い。当時の大工さん現代のような重機もないのにどうやって組み上げたんだろう。一度見てみたい。
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映画「武士の一分」のロケ地。楽々園、玄宮園に至る。楽々園の池の畔から見える彦根城。石の上に不動の水鳥、鷺だろうか。楽々園には地震の間がある。普段は茶室だが大きな地震の際にはこの耐震構造の施された空間に避難する。なんでも屋根が軽い素材で葺かれて部屋そのものが宙につりさげられ地震の揺れを軽減するようになっている、今でも使われている工法。今も昔も人の知恵は変わらない。
厩には常時21頭の馬が飼育されていた。でも城からは遠く堀の外にある。いざという時はどうしたんだろう。工夫なのは馬用の便器(壺)があること。馬腹下に仕切られた穴が穿たれ底に壺を置く。なるほど厩舎を汚さない。左右からのくつわ綱、馬腹にまわす綱と馬もある程度固定されて繋がれるようだ。

 ひこにゃんを後に伊良湖へ向かう。知多半島と渥美半島、蟹のハサミのような地形。戦国時代初期には知多半島は織田信長、渥美半島は徳川家康の領地だった。その徳川領の先端、現在の田原市、田原屋がある。伊良湖は正式には<いらご>という。知らなかった。
 地図で見ると細っい半島、どんだけ細いか興味津々だったが人間のサイズから見れば充分な陸地でした。街並みもごく普通です。国道が一本、伊良湖の先端まで通っています。
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伊良湖岬まで2分の所にある田原屋さん。刺身が歯ごたえがあり美味かった。お母さんと私は生まれ年が一緒でした。さらに車で一時間ほどのところから嫁に入ったそうです。自慢の娘は静大で合気道部だったことが判明。
 この日の夜白浜でもそうだったが風が強く鳴りだし明けがた目が覚めた。このあたりでは普通のことなのかもしれない。
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 この日の朝は寒風が吹きすさび海は荒れていた。それでも岬からのフェリーは出航し、海上には黄色いボートが高速で走っていました。写真向こうに見えるのは織田領、知多半島か?
 小高い山の周囲には遊歩道があり寒さをこらえて歩く。行きは風に背中で寄りかかり帰りには胸で寄りかかって歩きました。妻は何故だかニットの帽子の上から左右の耳を抑えていました。
 田原市には漁夫歌人、糟谷磯丸を祀る伊良湖神社があります。岬の遊歩道には小中学生の創った和歌が大理石版に刻まれて歩道脇の岩に嵌め込まれていました。和歌教育が盛んな様子が垣間見えます。
 磯丸は31歳を過ぎ漁師をしながら和歌を学びついには宮廷に招かれるまでになったそうです。晩年は磯丸に和歌を作ってもらうと不思議に願いがかなうということで地元民の信頼が篤かった。ついには神様になった人。私は初めてこうした歌人がいるのを知りました。渥美半島には渡辺崋山も歴史上の人物として登場しています。

さて、伊良湖から静岡浜松のスズキ歴史館。愛車がスイフトということもあり行きたかった。
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そういえば渥美半島にもトヨタの工場があった。
元は機織り機からバイク、車へと発展したスズキ。トヨタの前身も機織り機だったから同じ発想の人が地域を隔てて居たことになる。エルトンジョンのサインの入ったビターラ。世界戦略車として開発されたスイフト。旅行から帰ってTVを見ていたら何気に新型スイフトのCMが流れていて(*_*; 来年の春くらいと思っていたが1月3日から初売りだそうです。デザインは丸みを帯びた今乗っているスイフトの方が気に入っています。新型は何やら角ばって豚鼻のようなフロントグリルは何処かの車に似ていなくもない。新型はエンジンは旧型と同じでも車重は80Kg軽くなりハイブリッド、装備も格段に良くなっている。でもしばらくは今の車に乗り続けたいと思う私です。買い替えるときはベンツかアウディ?
ともあれスズキ歴史館は意外に遊べて面白く時間の経つのを忘れました。

 腹も減ったということで隣にある蕎麦処で味噌カツセットをいただいて15分程の所にある浜松城に向かいました。
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若かりし家康の居城。三方が原は目と鼻の先。武田の軍勢3万に対し8000の手勢で挑んだが負け戦の恐怖に慄いて逃げ帰り手を頬に置き苦虫を潰したような顔、終生このことを忘れないようにと描かせた肖像画がありました。歯が痛かったのかもしれない。遠くに富士山。家康も見ていたでしょう。
 その後は真っすぐに家路に着きました。
 でめたしでめたし。旅行も旅日記も疲れた。もうこの辺で仕舞にしよう。
塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場