今よりもっと。。

 若い頃は見える形に夢中になり、そして今、見えない何かを形にすることが面白い。
 稽古の積み重ねで身についた身体感覚は言葉にならない。
 おのずと身体で表現する。
塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

先日。。

妻を連れて久しぶりに「つるつる温泉」に行って、後、ぽかぽか。

ワゴンR
 1年点検の代車はスズキのワゴンR。現在、普通車に乗り替えましたが軽で長距離が苦痛になった結果、腰に負担の掛からない乗り心地の良い車、が我家の選択枝となりました。
さて、それはおいて、ダイハツがトヨタの子会社になってしまうというニュースには仰天。コンビ二業界もサークルKと。。どこだった?かがファミマの傘下となり3年をめどに名称を変えるというニュースにも吃驚。
 生物のシステムは食っていかなければ生存はできない。その生物の発想で造った組織は同じ感覚で他を食っていく、このまま肥大する組織、システムとしての生きものは食うものが無くなったらどーすんだろう。自分を食うしかない。

 以前、飲み会の席で「金って」何だろうと、問いを発した人がいました。私は意地悪でポイントですよ、と答えた。
 「金」の発想は人間の脳みその中で一番の抽象概念。具体的に紙切れやら丸い金属に価値を与え物々交換より持ち運びも楽だから出現した。出現したその金には「信用」がなければ流通しない。つまり「金」は信用の尺度。
 さて、今の時代、ホントーに信用できるものって何だろう。人間の創造した「金」は本来「物」の価値の尺度を表すけれど、今、金が物になり互いの通貨の価値尺度を競い合っている。
テレビの視聴率のようなその金に振り回されてはいないか。
 金は数字だから現地球人の脳みその中で扱いやすいが、地球が滅亡してシステムの異なる他惑星の生き物が焼け焦げた「札」溶けた「丸い金属」を見て何と思うか。たぶん理解しないだろう。ゲームの「コマ」か「札」位には理解するかもしれない。
 そう、現在「金」はゲームのコマなのです。

ホントはこんなこと書くつもりはなかったのに、なんだか勝手に手が動いちゃった。ケケ。。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

今日は寒かった~

 ということで西東京では若手の指導員のもと会員の皆さんと一緒に汗を流しました。稽古後、師範と稽古できたのが感激でした、と言われ「そうなんだ。」と思いました。指導稽古だけではなく、これからはもっと一緒に汗を流しましょう。
 寒いと言えば剛三先生を迎える冬の時期、それも雪の中、体が凍えました。そんな記憶が蘇る今日の寒さでした。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

蜻蛉つり。。

 今日はどこまで行ったやら この句は朝顔の俳句で有名な加賀千代女の作でないことは定説らしいが句の背景は死んだ子供がトンボを採りに行っていた日常、「今日はどこまで行ったのか、帰ってこない」と淡々とした風景として詠まれている。
 新渡戸稲造博士は著書「武士道」の中でこの句を引き合いにして日本人は悲しみや苦しみを慟哭の感情に任せるのではなく耐えて偲ぶと書いている。また、こうした思考、心情はどこから来るかと言えば五倫を基調とした武士社会の倫理に基づくと述べ、一般庶民の娯楽はおしなべて武士社会の善悪悲喜こもごもが題材にしてありこのような倫理観は下層階級であった人々にも流れ下りついには言葉にならない心情、空気となる。
 日本人の我慢、忍耐の背景は遺伝子レベルまで浸透しているようで先ごろの痛ましいバス事故の被害者である母親がインタビューを受けて実に堂々とまた淡々と感想を述べていたのには瞠目した。一人になれば慟哭しているだろうことは察して余りある。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

数年ぶりに。。

 高田馬場にある養神館本部道場の鏡開きに行ってきた。古巣という懐かしさもあったがかつての職員という感覚もありすうーっと事務所に入って何の違和感もなかった。
 年に数度、演武大会で見る顔ぶれ元気にしていたが春秋の霜雪、降り積もるのは禁じ得ない。
 鏡開きは理事長の年頭の挨拶の後、子供たちの元気ある基本動作、基本動作と関連技、短刀操法、正面打ち自由技まで。道場生による迫力ある演武、道場師範による自由技。
 かつてはぞろぞろいた師範、皆それぞれに、私も含めて独立していったのだからせん無いこと、しかし現在二名だけというのはチョット寂しい。
 御汁粉会は理事長の乾杯の音頭、愁眉は餅つき大会。
 理事長も元気なところを見せてかなり杵を振るっていました。
 道場長は餅をつくというより臼を叩き壊さんばかりの勢いで迫力満点でした。
 子供たちは5回ずつぺったん。
 私もご指名を受けて木刀の素振りの要領でペッタンこしました。
 実は餅つきは二回目。一回目は子供が幼稚園の時に行った、合気道で言えば初心者の頃。この時は力任せに杵を振るったため上手くつけなかった。あれから30年、一振り一振り、振りかぶり、手の位置、重心のあり方など気にしながら餅をつく、さながら稽古しているような気分でした。上手いと声が掛かりました。
 つきたての餅は美味い。これにつきます。ワイワイやっているうちに中締めでした。
 楽しいひと時を過ごしました。 

 さて、小山田本部道場でも鏡開き、餅つきなど順次行事に加えて行く予定です。今年は暑中稽古、寒稽古を加えていきます。最初から全ての行事となると色々大変。だいいち稽古生がいなければどうにもならない。一つ一つの行事を重ね、確認しながらやっていきます。その意味ではまだまだ発展途上、稽古生集まれ(^∇^)ノ!!

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

そして。。

 剣操法を稽古するが、30年以上使っている木刀が今も元気で合気道用の木刀が太くて長いくせにそれを壊してしまう。
 叩き合うのはあたりまえだから若手の指導員も思い切り打ち込んで来る。結局、力任せは道具を壊す。木刀を手入するのも稽古のうちだから修復せよと命じた。二本壊れている。
 直接肌を叩いてよいと思い袋竹刀をも使う。受け方を間違うとやはり壊れる。一本修理に出した。帰ってくるのを楽しみにその後の稽古がまた楽しみ。素肌剣法ではあるのは否めないが今の剣道のように防具を使わないことに関しては実践的ではある。
 それらの稽古が意外と体術にも繋がる。また逆も身体操作として考えさせられるこの頃です。
塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

さて、いよいよ最後。。

女二人男一人の三人旅 三日目

犬山国際ユースホステルから早朝出発し木曽川沿いにある桃太郎神社に行く。
桃太郎と言えば岡山を思い浮かべるがここは桃太郎誕生の地とあった。神社には桃から生まれたばかりの桃太郎がお出迎え。猿、雉、犬が控えて鬼が門番よろしく蹲踞をしている。
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驚くことにこの神社には宝物館がありあろうことか桃太郎が生まれ出た桃があるという。早朝のため開館はしていませんでしたが神社の額に切り口ざっくっり、干からびた桃?の写真がありました。地域には桃太郎音頭なるものがある由。
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桃を抱えたお婆さんが鳥居の手前に、階段途中に芝刈りの御爺さん。お婆さんが毎日洗濯に行ったためお婆さんの足跡の付いた石というのがありました。ここまで来ると弁慶の使った尿瓶だとか牛若丸が履いた草鞋のたぐい。びっくりポンです。洗濯場の川は目の前の木曽川ということでしょうか。さて、張りぼてがあまたある神社を後に犬山城に向かいました。ここからが旅のかなめ。

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曲がりくねった石段を歩きようやく本丸広場に出ます。
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まだ朝のうちで人もまばらです。
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もの凄く急な階段を上って天守まで。各層はただの広間で兵隊たちが詰めていたのでしょう。急な階段を上る途中、前を行く女性のお尻が目に入り階段途中の梁に頭をぶつけました。階段上から下を覗くとスキーのジャンプ台から下を見るのと同じくらいの急角度です。上から蹴落とされたら素直に落ちるしかない。最上階の縁側から木曽川を望みます。この縁側少し斜めに外に向かってかしいでる。そういう造り。小さな子が怖がって叫んでいました。「こわいよ~」 確かに危ない。
画面右端に昨日行った寂光院がホンのチラリ。信長、勝頼もこの天守から寂光院を見たでしょう。

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犬山城下町をぶらり。信長の実弟、織田有楽斎の成した如庵、茶室があります。千利休に師事し後、利休の考え方についていかず独自の茶の湯を確立しました。利休はわびさびの極致、いかに簡素化を図るか追求しましたが有楽斎は茶の湯は人をもてなすその有り方にこそ茶の湯の精神が宿るという方向性を見出しました。今も有楽斎流の茶の湯が伝わっているそうで、知りませんでした。日本三名席の一つ。

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城下町、本町通りから犬山城が見える。作りたてのういろうを購入しました。

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商店街奥に昭和横丁なる細長い建物の中が確かに昭和の雰囲気でお店が一杯詰まっていました。ここでしばし休憩。栗饅頭をいただき英気を養う。

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さて、最終目的地 円福山 豊川閣 妙厳寺とは何かと言えば豊川稲荷れっきとした曹洞宗のお寺です、が何故か鳥居が立っていて神社だかお寺だか判然としない。混乱、混乱でした。鎮守を守る半女神、荼枳尼天(だきにてん)が稲穂を口にした白い狐に跨っていたところから豊川稲荷として有名になったそうです。それにしてもこっちで手を合わせ、向こうで二礼二拍手一礼まさしく神仏混交でした。

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大黒様も腹を撫ぜられて丸く窪んでいました。それでも笑ってる。以前、京都の池田屋で柱の刀傷、を見ましたがこれもなでなでされて艶やかに滑らかなくぼみになっていたのと同じ。人の皮膚でも何万、何億、何兆回と触れるうちにやすりの様な働きをする。木でも石でも擦り減らすんだからすごい。白い御狐様は親子そろって怖い顔。奥に進むといるわいるわ狐が赤いよだれ掛けを着けて数千体寄進されていました。中には良く知られた芸能人の名前もありました。

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豊川稲荷の門前で昼食。稲荷、蕎麦、田楽のセットをいただきました。田楽と聞いて蒟蒻を思い浮かべましたが豆腐でした。豆腐田楽これが美味かった。専用の漆の入れ物に二本の串に打たれた味噌田楽。御代わりをしました。写真に撮ろうと思う間に田楽に手が伸びて結局撮れませんでした。鰻が香ばしく焼けた稲荷ずしも絶品でした。これも写真に納めようとしましたがすでに無く後の祭り。食い終わってからあゝそうだと気付くめでたさ加減です。お土産を求めてうろうろ。
稲荷ずしを買って夕方の豊川稲荷を出発。途中A子さんを平塚で降ろして小平の我が家に着いたのは午後九時前でした。今回の走行距離は916Km.でした。

次回の旅行はゴールデンウィーク。昨年行きそびれた能登を満喫してきます。東尋坊から能登半島を一周の三泊四日。すでにゲストハウスも抑えて用意万端。楽しみじゃ。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

今朝は。。

剣操法(1)~(5) 剣と杖(1)~(5) 間合いのとり方瞬時の判断が微妙です。
創作の技
後ろ正面突き小手返し、補助動作ののち後ろから正拳突きで突かせる。
気配と背後への入り身のタイミングの稽古。

初稽古は元旦に行いました。
剣操法(1)~(5) 剣と杖(1)~(5) 四方投げ全般。今の基本技にはない半身半立ち両手持ち四方投げ(2)を復刻しています。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

一昨日は。。

山梨にある「富士眺望の湯ゆらり」へ何回目かの訪問。今回は動画中心です。
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中央高速からの富士山
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こんなに正面に見える富士は久しぶり
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この後、温泉でまったりしてから忍野八海へ行きました。
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中国人観光客が大勢いました。すでに夕方、まだ大勢の人がいます。
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泳いでいるのはコイ。沈んでいるのはコイン、残念!!罰金1000円の札がありますが中国人は読めん。罰金10000円と中国語で書くべし!!
母親が浅間神社に行きたいというので夕間暮れの迫る時刻に訪問。
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かなり暗い時間でしたが明るく映っています。水神の龍が素晴らしい。時代の付いた本殿、行列ができていました。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場



さて、二年越しの。。

女二人男一人の三人旅。。二日目 

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犬山市郊外にあるリバーサイト犬山、とある犬山国際ユースホステル。リバーサイドとは思えぬ環境ながらリバーとは木曽川だろう、と想像する。山道の途中に看板がなければ完全に見落とす所。しかもここへ通じる道は左側に極端に細く切れ込んだカーブだったため曲がりきれない。右サイドに寂光院駐車場とは名ばかり、道を外れた崖っぷちのような空き地を大きく回り込み真っ暗闇で急な坂道を登る、狐狸の類が出てもおかしくない。

翌朝、近くにある寂光院を訪ねた。ここには弘法大師筆塚があります。織田信長と柴田勝家がそろって参詣した古刹。長い石段をジグザグ上ると本堂、信長、勝家が見晴らした高台がある。その先には国宝犬山城が望める。
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駐車場からの道。 
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わきを小川が流れていました。 子供のピンクのサンダルが片方、川石に引っかかっていました。夏にでも来たのでしょう。
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こんな坂道を歩いていくと。。途中から石段のつづら折り。
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石段の途中に七福神に宝船。お寺だよな~でもマいっか。しかしながらこの思いは三日目の豊川稲荷で爆発しました。 

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つづら折りの最後の直線。
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弘法大師筆塚。つづら折りの道で出会ったのは伊豆の踊子の一行ではなく。。弘法大師の像でした。
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寂光院本殿。柱にはゾウさんの彫り物。珍しいのでパチリ。象の巨大な体躯、体重で百鬼夜行の類を地面の下に踏みつけて押さえる。日光東照宮にも同じような象の彫り物が柱にあるのを昨日のTV番組「ぶっちゃけ寺」で知りました。
愛知県犬山1 021 本殿とお堂が天空の回廊でつながっている。ぐるりと一周。

さて、博物館明治村。10時開村で10分前に到着。しばし待ちました。その間にも人々が車で参集。ここには歴史的建造物を日本各地から移築してあります。小金井にも東京博物館の分館として江戸建物園がある。しかしまあ、よく歩きました。歩いたと言えば比叡山、ここも歩き回り携帯の歩数計は二万数千歩を超えていました。さすがにそこまではいかなくとも兎に角、歩るった。駐車場北口から入村。村は1丁目~5丁目まである。「すてーき亭」も以前そんな丁目メニューがあったが今は関係ない。
とにかく5丁目から旅は始まった。
蒸気機関車が当時の三等客車引いてSL東京駅から4丁目SL名古屋駅まで開通している。
NHKの連ドラ「ごちそうさんで」 女優の杏、演じる「卯野めいこ」が東京から大阪に出発した客車。
それは眺めるだけに留めておき、まずは、帝国ホテル中央玄関に入る。実はこの帝国ホテルを眺める場所に住んでいたことがある、といっても正面玄関ではなく裏の駐車場。そこにはミニュチュアでしか見たこともないような外車がずらりと並んでいました。昭和39年小学5年生の頃の話し、有楽町の東電社宅5Fに住んでいました。東京オリンピックの年で開通間もなくの新幹線も屋上から眺めることができました。
玄関入口左脇に当時の航空写真パネルが置いてあり、あーだこうだ言っていると、ガイドさんがやってきてその話をするとあー東電ですか写真にはないけどこのビルの直ぐ左側にあったんですよ、と詳しい。パネルには都電が写っていて有楽町から常盤橋までゴトンゴトン乗って常盤小学校まで通った記憶がよみがえりました。日比谷公園も近くよく遊びに行きましたっけ。
愛知県犬山1 038 愛知県犬山1 033 愛知県犬山1 031 愛知県犬山1 030
帝国ホテルの裏は良く見ていましたが正面の記憶がなくこんなだったかなという感想。
正面のパネルの人物は帝国ホテルを手掛けたアメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライト。家具から食器のデザインまで工夫しました。サイモンとガーファンクルが「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」を歌っています。有名人だったようですが知りませんでした。
三階までの吹き抜けで天井が高い、サイドの休憩、喫茶の空間は天井が低く落差が大きい。天井が低い方が落ち着く。ご婦人専用の休憩室まで考えていました。
ここ、帝国ホテル中央玄関ではNHK朝ドラ「花子とアン」で仲間由紀恵 演じる葉山蓮子 と 吉田鋼太郎 演じる嘉納伝助がお見合いの撮影をした場所。そう言えばTVにブレイクする前の吉田鋼太郎のシェイクスピア劇を何回か観たことがあります。つばきを飛ばしての熱演でしたが最前列には座りたくない。
二階の喫茶室、営業していました。

さてこの先、時系列で記すとダラダラするので印象に残ったところをひょいひょいといきましょう。

愛知県犬山1 053
本郷喜之床。 大正時代の床屋さん。何やら二階に人物のパネル。石川啄木です。「一握の砂」はこの二階で執筆された。
ちっさい床屋さんの二階に家族ごと住んでいたというからどんな貧乏かと思う。
ちなみに朝ドラ「ごちそうさん」では売れない作家の室井幸斎が住んでいた設定。
愛知県犬山1 057
宇治山田郵便局舎。ここで女性二人は一人は孫へ、また一人は母と友へ絵葉書を出しました。郵便局わきの年代物の黒く細長いポストがまだ使える。一枚は年末にまた一枚は元旦に届きました。
閑話休題
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どこも一緒です。

愛知県犬山1 096
明治村は人造湖の入鹿池の畔にあります。村内からも広い水面が見え、とても人が造った池のイメージではない、りっぱな湖といえる。無数のボートが湖面に浮いていました。冬はワカサギが旬。

愛知県犬山1 105
金沢、第四高等学校武術武道場。道場と聞いて行きました。柔道場と剣道場が併設されています。なにせ建物が古く、歩くと全体が揺れる。ドンと足を踏んだらガラス窓がびりびり震えました。「雷影春風」「心身自在」の額がありました。こうありたいものだと感じました。ここでは「ごちそうさん」の西門悠太郎の剣道試合の撮影場所。たしかぶっ飛ばされて負けたような。。違ったかな。
愛知県犬山1 051
呉服座。だれが見ても「ごふくざ」と読みます。ところがこれは「くれはざ」といいます。世代としては爺さんか親父の頃の名優、喜劇人、落語家、講談師が出演したようです。名前を見るとああ、いたな聞いたことあるなという感想でした。世代は違うのに懐かしい気がしました。
愛知県犬山1 071 愛知県犬山1 070 愛知県犬山1 066
夏目漱石の住居。    くつろいだ長火鉢。   夏目漱石の書斎。
大量に流入する異文化と自らを育んできた文化との狭間でどう折り合うか呻吟した人。
愛知県犬山1 058 愛知県犬山1 060
西郷従道邸と食堂。 
西郷隆盛と共に野に下らず官に留まり西南戦争を戦った。西郷と言えば上野の銅像の人。司馬遼太郎に言わせれば維新後自分で大事な決断を下さず、なんだか呆けた人のようであったらしい。毎日山野を渡り大好きな猟をしていたという。猟師になりたかったとさえ言ったとか。燃え尽き症候群か?そうした人を担いで緻密な作戦もない西南戦争が起こった。
愛知県犬山1 044
明治村には教会も多く移築されていました。西洋つくりの教会は見上げるほどに高く天を目指しています。中に一つだけ日本の大工さんが造った教会がありました。大明寺聖パウロ教会。長崎から移築。火の見櫓のような塔には鐘が釣るされています。紐を引くと村中に鳴り渡る。
愛知県犬山1 099
品川灯台。明治初の灯台。濃霧ひどい時は濃砲で知らせたそうです。傍らに火薬だけ込めて空砲を打つ小さな大砲がありました。

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最後に京都市電。この市電は「花子とアン」で、はなと蓮子が腹心の友の誓いを交わした舞台。
村内の乗り物は陸(おか)蒸気とこの市電、そして村営バス。
この日は開村から閉村まで女性陣はスタンプ帳を手に最後はノルマを果たすべくそれだけのために時間ぎりぎりまで歩きました。
結論、明治村はNHK御用達の村。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場