昨日四国から帰ってきた。。

1日目

朝早く起きると雨が降っていた。東京はこれから雨降り。四国地方は台風のような雨が降っているとテレビで言っている。雨雲を突き抜けるといつでもそうだが晴れている。羽田を飛び立ち徳島へ向かう。
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徳島阿波踊り空港からバスで鳴門海峡に向かう。この日の徳島は昨日四国を通過した低気圧のためにやや曇った色合いでたまに日差しが肌を焼く。鳴門の渦潮はこの時間ちょうど潮止まりでまだできていない。到着した時間は朝九時頃でしたのでまだ早すぎた。薄く煙る大気をまたいで架かる大鳴門橋。計画当初は列車と車を通す併用橋として勘案されたが車社会の到来で鉄道部分は現在では鳴門の渦潮を眼下に見下ろせる観光の目玉になっている。
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渦潮の逆巻く時間帯には方向の違う左右の潮の流れで大きいときには雷のような音を立てて直径25mほどの渦ができるという。静まり返った今、潮止まり時間帯は航行する船からすれば安全な航海となる。写真手前のブイは海苔の養殖。写真をクリックすると別ウィンドウで開きます。
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大鳴門橋の渦潮回廊。連休も少し外れた日なので閑散としている。
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渦潮の見える要所にはガラス張りの廊下が設置されている。ただでさえ覗き込むと吸い込まれそうになるが渦潮の盛んな時間は飛び込みたくなるのかもしれない。想像に難くない。
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回廊から快晴なら見えるであろう島々が説明されている。鳴門を離れるころに潮目が動き始めたが金毘羅さんに向けて移動。この日は12時に満潮で渦潮が発生するとのことでした。
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金毘羅さんと言えば善通寺。「血脈」という落語を思い出した。金毘羅さんの善通寺で誰でも極楽へ行けるという「血脈の印」を売り出したところ地獄に亡者が一人も来ないものだから地獄の経済界が困っちゃった。今までの地獄とは違うよ、血の池地獄には鯉も泳いでサービスが良くなったよ、と宣伝しても誰も来ない。赤鬼なんぞは紫色になっちゃって金棒なんか重くて持ってられないってんで道具屋に売りとばし竹の杖をついて、トラの皮の褌も売っちゃってメリヤスのサルマタ履いてる。歩いてる姿は鬼だか浮浪者だかわかんない。青鬼なんぞはホントに青くなって青息吐息。これには閻魔大王も困り果て、良い案はないか。そこで地獄の釜のふちで都都逸の36もうなって涼んでいた石川五右衛門が召喚され「血脈の印」の元版を善通寺から盗み出す役を言いつかる。まんまと血脈の印を盗み出したところまでは良かったが大泥棒の五右衛門よせばいいのに「盗み取ったる血脈の印、ありがてえ、かたじけねえ」と見えを切ったから血脈の印を持ったままスーッと極楽へ行っちゃった。 写真は785段の3分の1程の所。
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金毘羅宮の石鳥居。
石段ばかりではなく平坦な参道もある。
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旭社
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本宮へと通じる最後の石段。一歩一歩進みました。本来石段は786段ありますが当時の日本人の遊び心でナヤムはいけません、ということで一段低くなって降りる石段がある。つまり786−1=785という洒落がある。確かに一段下がる石段がありました。
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いよいよ本宮。DVD製作が成功するように心願成就のお札をいただいた。ここで写真を撮っていると若い女性が近づいて来て「さらにこの上には何がありますか。」と聞く、坂道を行けば奥の院があると思ったが定かな記憶ではないため「極楽じゃないですか。」と誤魔化すと一瞬、間がありアッハハと笑ってた。
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パチリ。
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金刀比羅宮のご神木。この後、道後へまっしぐら。
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道後温泉に着いたのは5時ごろホテル・ルナパーク903号室に投宿。取り急ぎ道後温泉本館に出かける。徒歩1分。開湯1300年の歴史があり日本書紀には大国主命が傷ついた白鷺が傷を癒しているのを見て発見したといういわれがある。明治27年の建築で約130年の歴史が刻まれている。夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場している有名な温泉。霊(たま)の湯、神の湯とあり私たちは両方に入れて館内を見学するコースを選んだ。霊の湯は6畳ほどの広さでやや熱め。古色蒼然として石造りの風呂屋内はぼんやりと明るい。立つと腰骨のあたり、座ると胴長の私がグッと首を伸ばしてようやく湯面に顔が出る、中途半端な深さ。いい湯でした。休憩所で汗を流しつつ、お茶と瓦せんべいで休憩し、いざ神の湯へ出撃。ここは十畳ほどの広さでした。1000年以上枯れることなく湧き出る湯量もすごい。書割は老松に二羽の鶴、鶴のいる湖面には水草が茂って、それらの部分部分を正方形の瀬戸物に藍色で描き全体で一つの陶芸品になっている。万葉にも詠まれた温泉で柿本人麻呂の歌が中央、獅子頭の口から注がれる、石柱に刻まれている。ここには大勢の人が入湯していました。子供が熱がってた。確かにここでも汗だくとなりました。何よりも驚いたのは神の湯には開湯当時の源泉の湧き出た場所が床にマークされていたこと。そこからいまだに沸いて出るお湯とは凄い。坊ちゃんにちなみ「泳ぐべからず」とあるのが面白い。さらにこの温泉には皇室専用の風呂があり現在では使用されていないが当時のまま保存してありました。出入り口も一般とは異なり専用の御成門がある。現在では皇室御用達のホテルで入湯するそうで道後温泉本館は不使用、工事をしなければお湯が引けない状態とのことでした。それでも大正天皇が一回、昭和天皇が二回入湯したそうで、玉座の間には立派な椅子があり横には武者隠しが設えてありました。「さすがに泳ぐべからずって書いてないね。」と言うと案内の女の子が笑ってました。各階を見学して3層の最上階、坊ちゃんの間がありました。漱石が使った部屋。松山中学赴任当時の教員の集合写真などあり、アッこれが山嵐じゃないか、と容易に想像つく人物達が写っていました。マドンナと言われたとおぼしき女性の写真もあった。この3層の上には温泉発見の白鷺伝説にちなみ「振鷺閣(しんろかく)」がある。日に3回時を告げる太鼓が打ち鳴らされる。丁度坊ちゃんの間で太鼓の音を聞いた。この音は日本に残したい名音百選に載っている由。ホテルに帰って早い食事になりました。食事と言えば昼は金毘羅さんで「讃岐うどん御膳」途中で愛媛の「せとか」を食す。愛媛はミカンの産地で「せとか」は色艶も良く弾力があり甘い果汁でした。道後では「鯛めし、鯛のかぶと煮、鯛のおつくり」を頂きました。美味しかった。食べ物の写真を撮る習慣がないのでいつも食べ終わった後にアッ、撮っとけば良かった、と思う次第でお見せできないのが残念です。
写真は「坊ちゃんの間」から正面玄関の方を見たところ。黒い3台は人力車の幌。
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食後道後の町中をぶらりと夜風に吹かれて散策。道後温泉の正面玄関。
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宮崎映画「千と千尋」のモデルとなった道後温泉本館。最上階の紫の部屋が「振鷺閣」白鷺がライトアップ。昼間は障子が開け放たれ、時の太鼓が見えます。
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ここが皇族方の御成門。一般庶民からは隔離されている。門から入ると地層階に進む。
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からくり時計。時間が来ると伸び上って広がり一つの物語を演出する。ビルの上階壁面には動く影絵が映し出されているのも面白い。小山田道場の白い壁面に動画影絵を施したら面白いかもしれないなどと思いながら見とれました。
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坊っちゃん列車。漱石の小説にも「小さなマッチ箱ぐらいの汽車で5分ほどゴロゴロ行くと道後温泉。。」とあった記憶がある。今でも路面電車として活躍中。夜は街の景観に一役買って休む間もない。機関車トーマスに似ている。
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活躍中の「とでん」都電ではなく土佐電気鉄道の略「土電」
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路面電車に気を取られ、からくり時計がカラクッタところだが気が付いたらもう終わりころ。文字盤がマドンナになっている。
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坊ちゃんの登場人物と記念写真。左から野太鼓、うらなり、山嵐、マドンナ、坊ちゃん、赤シャツ、校長の狸。奇しくも私も赤い上着でしたが赤シャツではありません。赤シャツ隊でもありません。
伊予松山と言えばもう一人、正岡子規がいます。子規は漱石と同時代の人で当時の東京帝大で一緒だった。雑誌「不如帰」を主催した子規の門下生でもあった漱石はこの縁もあり松山に来たのかもしれない。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は日露戦争を柱に子規とその盟友であり日本騎兵隊の礎を作った兄、秋山好古、バルチック艦隊を迎え撃った連合艦隊参謀の弟、秋山真之の物語。子規も日露戦争の従軍記者として参加したかったようだがすでに結核に侵されていたため自由にはならなかった。横須賀の三笠記念館(当時の軍艦三笠)に行くと東郷元帥と参謀秋山真之の立っていた位置が艦橋にマークされている。

二日目

道後をあとに砥部の焼き物を見学。窯元が30近くもある陶芸の盛んな土地。白地に藍の質素な作りは道後温泉の壁面にあったものと同じ。
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昔の風情を残す白壁の内子に到着。昔の町並みの風情を留める隘路の両脇には木蝋を材料に作る和蝋燭屋さんや地元で人気の健康飲料、酢卵の販売元などがありました。
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まっすぐに伸びる内子の道。今では舗装されていますが当時は土の街道だったろうと思いながら歩きました。
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絵入りの和蝋燭。綺麗。無地の和蝋燭を非常用にと妻が贖いました。和蝋燭は芯が残るので短く切ってやるときれいに炎が立ち上がる。この絵蝋燭を見たとき小川未明の「赤い蝋燭と人魚」という物語を思い出しました。蝋燭が人魚になる話だっけ、人魚が蝋燭になるんだっけ、と妻に問うと笑っていました。子供の頃読んだ類似のお話で言えば新見南吉の「ごんぎつね」と同等。
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古い街並み。それぞれの家には意匠が凝らされています。背景の住宅にはなまこ壁。重要文化財。
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木蝋で財を成した本芳我家。初代弥三右衛門が発明した「伊予式箱晒法」を子孫が改良して海外輸出して富を築いたそうです。
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木蝋を作る工場。鉄窯や木箱がありました。木蝋はハゼの実から作る。実はこのハゼノキがいつもチーちゃんと散歩する遊歩道沿いにある。結構大きな大木、葉っぱは小さく細い。今は実が付いていませんがいつ実るのか見てみましょう。
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この家は何かと思えば床屋さん。小さな青白の看板があります。この日は回っていません。
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鬼瓦の看板。
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内子を出発してバスは一路四万十川に向かう。内子の出身者としてはノーベル文学賞を受賞した大江健三郎がいる。この辺りには第一次大戦の時にドイツ人捕虜の収容所があり村人との交流からドイツの文化に触れたという。たしか大江健三郎の若い頃の小説に第二次大戦時のアメリカ人捕虜のことを書いた作品があったと思うがこの四国の山間部が舞台だったか記憶はない。
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川幅は約370mあると船頭さんが説明。ここから河口までの距離が6km。深水は深いところで18m。海水が流れ込み比重は海水が重いため川底2m位が海水、上が真水。獲れる魚は底は海水魚、上が淡水魚ということでした。知らなかった。川漁で生活できるのは唯一、四万十川。約4000人の漁師がいるそうです。
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その中でも一番良い漁場を持つトップの漁師さん。網の中の獲物を観光客に見せてくれました。四万十川はNHKのドキュメンタリー番組で取り上げられてから知れ渡ったと言っていました。NHKには皆感謝はしているけど私の周りで受信料払っている人は一人もいません、とは水先案内人。ウナギの稚魚が採れるそうで今年は豊漁、夏頃には養鰻業者が大きくして出荷するので去年よりは値が安くなるだろうという予想でした。昨年はウナギの稚魚1kgで300万の値がついたそうです。今年は稚魚1㎏で30万。採れる時期が予想できるので2~3年後はまた高値ということです。
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採れた獲物を見せています。四万十の漁師と言えばこの人がテレビに出て稼いでいるそうです。
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土佐の投網漁。後ろに2回まわしてパッと投げる。シャッターチャンスがぴたりと合いました。
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獲れたての魚を見せています。
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四万十川に沿って弘法大師が歩いたという古道ともいうべきお遍路道があります。川岸は台風などの増水、氾濫で削り取られ写真のあたりでは川底もえぐられて水深18mはあるそうです。
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四万十川の鴨。茶色いのが雌。きれいなのが雄。総じて自然界では雄がきれい。種を保存することを最優先すれば敵に襲われにくい目立たない色合いがBest.
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餌をほしがり寄ってきました。  
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川の増水氾濫を避けるための橋。沈下橋。潜水橋が正式名称。橋を流されないための工夫で欄干がありません。中国にある橋をヒントに造り増水すると橋は水の中に沈みます。生活道路で地元の車が行き過ぎました。 
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四万十川を渡る帆掛け船。川遊びに来ているのでしょう。   
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バスは高知に向かい今夜のお宿のホテル南水。竜馬の生家の近くにありました。

三日目早朝

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ホテルの前は竜馬が子供の時分からあったという小さな掘割のような用水路。  
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朝の散歩で本筋通りにあった看板。
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そして見ると竜馬の生家の碑。明治100年記念で吉田茂の揮毫でした。ここから300m位の所に竜馬が剣術稽古に通った小栗流、日根野道場跡(推定)があります。
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本筋通りは高知の町を起こす時に最初に造った基幹道路。広かった。京都の四条通りを彷彿とさせます。左手にあるのは城西館。歴代の首相が投宿するホテルです。大きかった。
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さいたにや。ここは竜馬の母親の実家のあったところ。当時父方の坂本家は郷士株を買うほどの豪商だった。竜馬も一時期変名として才谷の名字を使っているが謂れはここにある。去年5月頃までは喫茶店を経営していたようですが今では売り物件とある。1年たとうとしているがまだ売れない。誰か買う人いませんか。
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裏通りを抜けて歩くこと10分程。今日も天気が良い。汗ばむようでした。
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竜馬の通った道場があったとされる場所。泣き虫の小便たれだった竜馬が剣術稽古で自信をつけ19歳の時、江戸は北辰一刀流千葉定吉門下生となる以前の5年間ここで汗みずくになっていた。今では棒杭が立っているだけ。竜馬の生家からは近道すれば5~6分の距離で竹刀と防具を担いでバタバタ走って稽古に通っただろうと想像に難くない。近くて良い。さて今日は高知城を皮切に桂浜、幕末志士社中、高知公園、祖谷(いや)渓、かずら橋、大歩危へと巡ります。
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高知城の天守閣。城主は内助の功で信長に認められた山之内一豊。
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山之内一豊の像
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大手門をくぐる。
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間近にに聳える天守閣。
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城内のアイスクリン屋さん。シャーベットに近いアイス。美味しい。
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いざ登城。
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天守閣からの眺め。山並に囲まれた高知市が一望できます。
さて桂浜にむかってGO
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言わずと知れた竜馬像。
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ジャンプ一番。竜馬像を飛び越えた。進撃の巨人ナントか兵長。
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桂浜の海辺り。砂が大振りでした。五色の石を拾う人もいました。
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はりまや橋を横に見て高知駅に向かう。ここには「龍馬伝」で使用されたセットがそのまま保存されている。幕末志士社中が物産展と共に併設されています。写真は竜馬の部屋のセット。部屋の真ん中には黒船の手作り模型。
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セットの中では左の赤いべべ着たお姉さんが「はい、こ~ち」と言うんですよと優しく諭してくれる。
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なので大きな声で「はい、こーち」
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高知駅前の武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の三先生。ブロンズではなく発泡スチロール製。
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駅前のバイキンマン。高知は漫画家やなせたかしの故郷。バイキンマンは以前から偉いと思っていた。何故なら一人で大勢に立ち向かい負けても負けても懲りずに頑張る努力の人。しかもドキンちゃんという恐ろしくわがままな娘がバイキンマンの隣で責める。文句も言わず頑張り続けるバイキンマンは中間管理職の鏡といえる。
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アンパンマンに寄りかかってそろそろ旅も終盤。
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一路バスは山間を抜けて、祖谷(いや)渓谷の鯉のぼりと遊覧船。
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大歩危のかずら橋。皆さん恐る恐る歩んでいました。かずらで編んだ橋なので揺れる。
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足元はこんな具合です。
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橋から下を見るとこんな景色。橋を渡る人々は足元ばかり気にして風景を眺める人はいませんでした。中に一人両脇のかずらを手探りで渡る人々の間を縫ってスタスタ歩ってるおじさんがいましたがまっすぐ前を向いて景色なぞ見てませんでした。
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うちの嫁さんもこんな具合で「こわいよ~」と言っていました。かずらの吊り橋を渡り終えると琵琶の滝。
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これがそれ。涼しかった。何故に琵琶滝かというと源氏に打ち滅ぼされた平家の落人たちがこの山間部に逃げ滝の下で無聊をかこつために琵琶を食った、のではなく寂寥を慰撫するために琵琶を奏でたという言い伝えがあるのです。帰りの道すがら郷土料理の手ごね団子を食べました。見た目ちびたのおでん。ジャガイモ、そば団子、豆腐、こんにゃくの順でアマダレ味噌で囲炉裏火で焼き上げた櫛物。美味しかった。豆腐がこの地方の少し硬めのもので容易に崩れない。
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ついに阿波踊り空港に帰ってきた。これでこの旅も終わります。皆さんお疲れ様でした。羽田へぴゅ~ん。

合気道 小山田道場