蜻蛉つり。。

 今日はどこまで行ったやら この句は朝顔の俳句で有名な加賀千代女の作でないことは定説らしいが句の背景は死んだ子供がトンボを採りに行っていた日常、「今日はどこまで行ったのか、帰ってこない」と淡々とした風景として詠まれている。
 新渡戸稲造博士は著書「武士道」の中でこの句を引き合いにして日本人は悲しみや苦しみを慟哭の感情に任せるのではなく耐えて偲ぶと書いている。また、こうした思考、心情はどこから来るかと言えば五倫を基調とした武士社会の倫理に基づくと述べ、一般庶民の娯楽はおしなべて武士社会の善悪悲喜こもごもが題材にしてありこのような倫理観は下層階級であった人々にも流れ下りついには言葉にならない心情、空気となる。
 日本人の我慢、忍耐の背景は遺伝子レベルまで浸透しているようで先ごろの痛ましいバス事故の被害者である母親がインタビューを受けて実に堂々とまた淡々と感想を述べていたのには瞠目した。一人になれば慟哭しているだろうことは察して余りある。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場

徒然なるままに。。

8月の休みには能登に行く。東尋坊まで行ってから引き返し金沢で二泊。その後、能登半島を一周して我が家に直帰するつもりだったがそれはむつかしいと判断、なので帰りの中継地点を日本海を望む越後の谷浜に設けて一泊、足し算した。民宿を探すと意外に安く泊まれる。 楽しみだな。。余裕があれば両親の実家、小諸に寄って来よう。

塩田剛三先生直伝
合気道小山田道場

鬱陶しい毎日。。

雨が降り続きます。
さて、今日は31の杖をもとに組杖を行う。しばらく稽古していないと頭では直ぐには思い出せないが不思議なことに体が覚えていて動き始めれば自然に出て来るのが面白い。やはり体が自然に反応するように稽古しておかなくてはいけない。
結局、初心者にも伝え易いように動きに番号を振った。素振りの杖は31本で終わるが組杖の場合、仕手の動き27本で終わる。
素振りの場合は後ろの敵に対処する素振りが含まれているが組杖の場合相手は一人なので後ろの素振りを省いて27本。
動きを節目、節目で分ければ仕手受けの有りようが分かりそこで完結するようにもなっている。
それらを繋げて一連の動きが一つにまとまっている。そのように工夫した。
剛三先生は武器技は体術の延長だと言っていましたが杖や剣が手足と同じ感覚になるにはそれらが道具だと思っていたらだめなのかもしれない。

そういえば先日、バックしてきた軽ワゴンに新車のスイフトXSがぶつけられた。なんということでしょう。100%向こうの過失で今修理に出している。そこで代車のベーシックタイプのスイフトXGに乗っている。XSは最上級タイプなので全然乗り心地と静粛性がXGとは違う。何よりも座席が良くできているので腰に負担がない。車を乗り換えたのにはこの腰への負担が大きいからでした。

そして、その日は懸案のさいぼくハムに行ってきた。車で1時間。隣接する天然温泉、花鳥風月に浸かりしばらくのんびり。湯殿にも豚さんの彫像が目につきました。もちろんお土産は豚肉です。国産の蜂蜜も買ったけど。また行こう。

塩田剛三先生直伝
合気道 小山田道場