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憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥..

 表記の俳句は松尾芭蕉、閑古鳥とはカッコウのこと。
 客がいない店のことを閑古鳥が鳴いてるよと言う表現がある。つまり寂しさの象徴。
 そのカッコウの鳴き声をいつもの散歩道で聴く。まさしくカッコ~カッコ~と日本人には寂しげな声に聞こえるのかもしれないが、朝これを聴くので芭蕉ほどの寂寥感は持たない。
 はるかな時代の彼方に「呼子鳥」と言う絵本を読んだ記憶がある、これは確かカッコウの話だったと思う。途中はすっかり忘れたけど最後は親鳥が名付けた子鳥のカッコウを探してカッコ~カッコ~と鳴き(泣き)ながら探し飛んでいく場面で終わっていたと思う。だから呼子鳥、カッコウ。
 感動した記憶は60年以上経ってもいまだに残る。
 シジュウカラもこの辺では良く聴く鳴き声。ツピーツピーとさえずっている。元気が出る。

暮しの中の鳥たち

今朝は爽やかな散歩。。

 野良猫の亀、猫なのに亀とはどうしたわけか。いつの間にかそう呼ばれて、可愛がれている。基本は野良だから警戒心は強い。しかし、自分のお気に入りの人間にはまるで飼い猫のようにふるまう。今朝は亀が座るベンチ、いつもここで餌を貰う、私が座って撫ぜナゼすると横になってひょいひょい猫パンチ。爪は出さない。噛もうとしてカッと口を開くがそうはさせない。上着の袖に爪を立て、ぶら下がりながら、私の目をのぞき込む。灰青色に、三日月の瞳、昼間はいつ見ても猫の瞳は楔のようにとんがっている。夜行性だから昼間はまぶしい、かな?
 すぐ脇に我が家の愛犬チーちゃん抱えているけど全然気にしない、亀。

暮しの中の野良猫

運がいいのか、悪いのか。。

 と、問われれば、即座に「運が良い」と私は答えられる。多くの人に恵まれている。
  反面、人は過去の記憶に引きずられる。特に嫌やな記憶は未だに残る。
 死んだ親父が東電に勤めていたころ間違いを犯したらしい。何かと言えば+と-を繋ぎ間違えたため変電所自体がショートして大ごとになったという事故。親父が東電から退職後に感謝状を贈られた時(大手の会社はOB、OGに存命であれば退職後も感謝賞状を送ったりする。)臨終の病床に臥していたが、うわごととしてその事故と感謝状のことを一人つぶやいていた。
 あんな事故起こしたのに感謝状など貰っていいのかと。
 彼が若かった頃のことなど私は断片的にしか知らないが死を間際にしても過去に引きずられるんだ、ということをその時知った。思ったことは過去の嫌な自分もそして嫌な他人をも許すことが大事。
 今まで、生きてこられたことそのものが運が良い、これから先もどうにかなるさ、自己肯定が大切。

暮しのなかの自己
 
 
 

今日はひたすら。。

 寝てました。。愛犬、チイーちゃんと一緒に布団の中で、暑くて何回か布団を剝いだけど寝続けた。
 耳元では、志ん朝がずっと古典落語を語ってくれた。笑える。彼は名人。彼の親父、志ん生も名人。
 最近聞く、談志はただ理屈っぽくて五月蠅いだけ。私が若い頃は談志も面白いと思ったけどそれは私に、今より体力があっただけ、現在、談志を聞くとうるさい。談志がバカにしていた林家の三平、幇間芸でむしろ笑える。とりあえず、聞いていて笑えるのは志ん生、志ん朝、三平、先代の鈴々舎馬風も面白い。ただし、先代三平が名人とは言ってない。ただ面白い。彼の親父は名人だった。

暮しのなかの落語